コラム「「tolerant」と「respect」」

2020年11月25日


あるシンポジウムでのこと。
ヨーロッパのある学校での(小学生の)授業の1コマが、ビデオで紹介された。
その授業では、生徒がそれぞれの母国語を使い、ペアになった相手と話をする。
どうやったら伝えたいことを伝えられるか、相手が伝えようとしていることを理解できるか試行錯誤。

大きな身振り手振りで表現してみたり
首を傾げたり
(えー?なに?お手上げ!といった感じで)苦笑し合ったり

こういうことかな、ああいうことかな、とでもいうように、目をくるくる動かしながら、自分が知っていることを総動員して想像を広げながら、やり取りしている姿が可愛かった。

その授業の終わりに、先生が生徒に語りかけていた。
語りかけた内容は、(たぶん)「お互いに理解し合うのに大切なのは、tolerantとrespectだ」というようなことだったと思う。
その中の「tolerant」と「respect」ということば(だけ)が、今でも記憶に残っている。

毎日の生活の中で、ことばがほとんどわからないどうしで話をする経験はほぼないのだけど、
お互いにそれぞれが使い慣れていることばを使っていて、
それぞれの世界でのイメージで話をしていて、
伝えたいことが伝えきれず、話がかみ合っていないことに気づくことはある。
そんな時、このビデオの授業光景と共に、tolerantとrespectの言葉が浮かんでくる。

 

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